あらすじ…
そもそもの発端は 2005年3月にカートゥンネットワークで放送が始まった「無口なウサギ」に私がハマったことから始まる。 「ウサギ」だからハマったのではなく、「無口なウサギ」のアニメがツボだったのだ。 それを周りに触れ回っていたら、何故か?!本物のウサギの里親話が沸いて出て、 そういえば、動物のウサギも私は好きだった…。と言うことを思い出した私は早速行動開始。 まさか、この歳になってから(?)ウサギを飼うとは思ってもみなかった… っちゅうか、それ以降も「思ってもみない事」の連続になるとは…。 足元すくわれ、180度ひっくり返って頭で歩いてきたような2005年だった。 |
2005年4月 友達の友達の友達の…いわば近くない友達からミニウサギ(雑種)の♀10ヶ月を頂く。命名ありす。 「もう10ヶ月で可愛い仔ウサギの頃は過ぎてますが…」と、前飼い主さん。 「いえいえ初めてのウサギなんで、かえって成兎のが助かります」 と私。 ・・・運命のいたずらよのぉ。 我が家到着すぐのありすちゃん。 部屋を散策したのち、目をきっちり開いて、おそらく、これ、寝てると思われる。 |
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2005年4月末頃 ウサギがこんなところへもジャンプできるなんて知らなかった…。 どうも「おとなしくのっそりのっそり歩き飛びしてるか、寝てるか」そんな印象だった。が、 かなりのジャンプ力があり、好奇心旺盛で、毎日よくよく観察しては、危ないと思われるものの排除。 ほぼ毎日のよにペットショップにサークル柵を(自転車なので持てて2個) 購入しに行き、部屋のあらゆる箇所へ追加。そんな試行錯誤を繰り返す。@いたちごっこ。 |
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2005年5月のはじめ ウサギは懐かない。振り回されっぱなしの日々が続いていた。毎日の掃除の際の私の部屋エリア解禁中も、 必死に掃除する私の存在をまるで無視。(涙)…しかし、やっぱり見てて「可愛い」のだ(涙) この頃から“ケージの中にいる時は”顔を出して私の鼻を舐めてくれたりするようになった。 噂の足ダン(スタッピング=危険を知らせるほか怒の表現として、後ろ両足揃って地を叩く、踏んづける行為) を初めて聞いたのもこの頃だった。仕事で夜遅くに帰宅した時に1発やられた。すんごい地震級の響きだった。 |
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2005年5月の中頃 以前は半放し飼いで飼われてたと言うのと、私がウサギに対して無知だったこと(?)、の二つが合わさり、 おかげでありすはかなり甘やかされて?日々を過ごすことに… 結局、ケージ+サークルという広さの豪邸をゲットしたありす女王。日々、中でも外でもひたすら地を掘る。 掘る掘る!ってんで、用意した掘り掘りBOX。中には牧草やらチップやらを放り込む。 「あぁ喜んで掘ってくれてるわ」と何の兆候にも気づかず!?満足する飼い主。 |
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2005年5月20日頃…そら身篭ってるか… ありす出産前日、飼い主パニック前の静けさ日。 サークル扉をはずし、ケージとのつなぎ目位置を変えて、食べてばかりする畳にはフローリングマットを敷いて、 (部屋の半分)やっとこさ環境が落ち着いたかなと、楽しいウサギ生活の新たなるスタートだと、 ありすも(見てコレ)ハイパーリラックス、私も夢想像し…てた。 「何かおなか太ってるなぁ」と、思った記憶はあるが、まさかのまさかやん。 赤ちゃんが入ってるなんて… |
そして…2005年5月23日 朝。
ありえないはずの赤裸赤ちゃんウサギがムニョムニョ巣箱の中に確認される。
実は前日昼間おかしな行動があったのだ。
牧草を目いっぱい口にくわえて、頭を上下上下させて巣箱(当初は巣箱ではなかった)に運びよる。
大好きなタンポポに見向きもせず…夜には、自分のお腹の毛をおもむろに抜き出し、いわゆる疑妊娠の行動に至った。
あくまで「疑妊娠」と、決め付けてたものの、ちょうど1ヶ月…
数字的には、可能性がゼロではない…(ウサギは交配から約1ヶ月で出産です)
前飼い主さん宅は7匹の“ウサギ家族”を飼っていた。相手は存在している。
しかし、“家族”だ、万が一本当の妊娠なら“近親交配”以外に考えられない。
絶対にあってはならない現実は、待ち受けてるのか?否か…。
頂く前にその辺のところはきちんと確認している。しかし、再度確認を取ろうと…
お返事が届く前に、結果が出てしまってた。普通にテレビで見るような「パニック」 \(゜ロ\)))))......(((((/ロ゜)/ をやってのけ、
目の当たりにする 数個の命… 他の誰でもない、「私」の「元」で起こってる現実。しかも「い・の・ち」…
ここから、すさまじくもわけのわからない、いや、わかってるからやってこれた?
言葉で言い表すことのできない、言い尽くせない日々が始まる。
順番が逆になったが、獣医先生の指導のもと、子育てケージ等、環境を整える。 ウサギの出産では基本的に人間が手伝うことは何もない。が、 赤ちゃんの生死確認…私には乗り越えなければいけない極上の試練だった。 どこが頭か体かもわからない容姿に加えて、近親交配ということで明らかな問題を目の当たりにするかも…という 想像たくましい不安感。しかし、そんな私の不安をよそに、ありすは、赤ちゃんチェック(目で見るのが精一杯…) の際、巣箱を引き出してくるのだが、その、巣箱を持つ私の手を舐めてくれるのだ…。 「一緒に頑張ろうね」って言うた私が頑張れてない…最高に自己嫌悪で凹んだりもした。 |
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2005年6月1日 1週間も経つと極上に可愛くなってくる。見難い画像だが、頭3つが右上角に固まってる。 そして、生後2,3日で1匹の赤ちゃんが亡くなった。必然的に取り除かなくてはならなくなり、 なんとか触れると言う試練も乗り越えた。(非常に時間を要しました)それからまた数日後、 巣箱の汚れがひどくなってきたので簡単に掃除…してて…すごく小さな2匹の死骸を見つけた。 合計3匹の命を「私が」奪ってしまったのだ。(飼育方法等は相談した結果、自然に任せようということに。 現実問題、ウサギの人工飼育は非常に難しく、ずっと家にいれる身でもなかったし、発端の責任逃れ…。 故意に私が繁殖させたのではないから…。と半ば慰められ断念。) |
命を奪うなんて… 大げさ?
そうは思わない。それぐらいの意識で「ペット」を迎えいれるべきだし、
ましてや、己の勝手で(自分の手でなく不運だったとしても)繁殖させる、させてしまったのだから、
生かすも殺すも飼い主(人間)次第だと思う。 生かしてあげれなかった… 十二分に喪に服すべきだと私は思う。
そして2人の信頼関係…
ありすがやって来ての1ヶ月は、本当に、ただただ「お世話する人」って感じで、半ばもんもんとなりながら?!まじめに拭き拭き等掃除をやってきた。
しかし、そんな姿をよそ目にもありすはちゃんと見てくれてたんだ!と思った。(ウサギの目はあんなやもん視野広いさっ)
何の見返りも期待せず、飼い主になったからにはの義務。
「ありすは牧草食べてる時と寝てる時が一番可愛い♪」とかって、まるで接触のない鑑賞用に!?若干の寂しさを隠しつつ…の日々だったが、
この出産で、ありすがどれだけ私を信頼してくれてるのかがわかり、日々の苦労がすごく報われた。「ウサギに対して諦めてはダメ!」
手、足、体、頭。しっかり形どられてきて、明らかにおかしい子はいないかな。と、安心したのも束の間、 他の4匹と明らかに様子が違う2匹を発見。他の子に産毛が生えそろってきてるのに、2匹はまだ地肌のままだ…。 これはいったい? 相談してみた結果、未熟児ではないかと言う事に。もし、内面的に欠陥のある子なら、 最後までは育たないだろうと…。この時から、毎朝晩の子供チェックはすごく憂鬱なものになった。 「はぁ、良かった、動いてやるわ。…でも次見る時は動いてないかも…」と。 これまた見づらい画像だが、頭が上で2匹います。 手前(向かって右下)が未熟児(と思われた子) |
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2005年6月4日前後 偶然にもありすの授乳を目の当たりにできる。 子ウサギチェックの際、奥の子育てケージから巣箱を手前のサークル引き出してくるのだが いつも通りチェックをしてると、ありすが巣箱に入り、仁王立ち。(実際には4本足だが…) すかさず子ウサギたちがひっくり返り母ウサギのお腹の下へ頭を突っ込み、お乳争奪戦を繰り広げる。 そりゃ体力消耗するわ!てなぐらいありすは力んで?しっかり立って表情も厳しかった…。 そして…恐ろしくパワー満開で争奪戦に参加してる未熟児2匹も目撃! 「…この子ら絶対死ねへんわ…」そう思った。それぐらいすごいパワーだった! |
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2005年6月9日前後 …まさか開眼するとは思わなかった…。 と、いうのも、未熟児の2匹は目の膨らみだけ真ん丸で切れ目すら何もないのっぺり肌だった。 どんどん目の部分が膨らんでくるのに、開く場所が切れ目がない!と思ってたら、 まるで刃物で切り込みを入れたみたいに、開いてた…。目の周りの何だろ縁取りのような部分もなく、 ただ、必然的に破裂せんよにぱっくり目玉が顔を出した。みたいな開眼だった…。 …未熟児やけど、開眼は同じ時期なんだ…と、あくまでまだ、「未熟児」と思っていた私、および周囲。 |
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開眼すると、1匹1匹と、巣箱から子育てケージから探検に出てくる。 翌日には、写真のボックス内が第二の巣箱となり、固まって寝てたりした。 が、あくまでそれは未熟児除く。だったはず…なのに!ある夜、あまりにドタバタ騒がしくて目が覚め、 「(ありすが暴れてる!?)どうしたん!」と電気をつけると… 全員集合!鬼ごっこ合戦! が、繰り広げられており、例にもれるはずの未熟児2匹も同等に参戦! 「何でなん?あんたらまだ出てきたらアカンやん!」…て、いやいやアカン事はないのだが… ただ、未熟児だから同等の行動は追いつけないはずでは?! ・・・? |
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2005年6月13日 一旦出てしまうともう平気。とばかりにありすエリアだったサークル内さえ支配しつつある子ウサギたち…。 例にもれず未熟児たちも。 そう、未熟児…世間一般的見解が崩れ去ろうとしてたのもこの頃だったかな。 ウサギ専門店の方も獣医師さえ!「見た事も聞いた事もない」と言った「毛のないウサギ」「毛が生えないウサギ」 私がネットで調べたり、本屋で難しい生物学の本を手にとったところで、答えが見つかるはずもなく…。 この子たちは、いったい…。ウサギはウサギだが…。誰でもいい、何かしら、「例」はないのか!? |
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7月に入り… 十二分に栄養を与えれば毛が生えてくるかも!子ウサギたちは加減を知らないから引っかいたりすれば、 体に傷がつく恐れがあるなどいろんな理由から、残りの4匹を親離れさせる。(体重増加具合等々様子を見たのち) しかし著しい変化はなかった。末には病院健診に訪れたが「毛がない」以外は普通のウサギと何ら変わりなし!と。 ただ、必要だから生えているわけで、その毛がないということは致命的でもあり、先に「ある可能性の高い」 闘病生活に既に覚悟を強いられた。だが、私はこの子たちがどれだけ珍しかろうが飼い主である私にとっては、 他のウサギ同様可愛いペットなのだ。内面的な欠陥があるかもしれないが、先の事はわからんしそん時はそん時! できる限りのケア(防止)はもちろん!絶対に寿命を全うさせてあげよう!せめて私が悔いる事のないよに頑張ろう! |
2005年 7月中旬 になり… ようやく、脚本通りの「里親募集」と言う行動に出れるようになる。赤ちゃんが生まれる=里親募集 と、 当たり前かのように思っていた。アドレスさえ知っていれば音沙汰無しなど関係なしに、 失礼承知でメールを大量に配信した。お店にも貼り紙をさせてもらった。 しかし、そんな早々に、「欲しい」と言ってくれるような良さげな飼い主は現れるはずもなく… しかし、棚からあぶれてる1ケージ(2匹)は、里仔に出さなくては、私が体を壊すだろう…。 そう、思い込んでた。そして、「欲しい」と言ってくださる幼稚園の園長先生と出会う。 |
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2005年8月22日 人様に渡すのに、健康でないといけない! そう思い、水にはビタミン剤を混ぜ、爪きりも済ませ、歯、足、に異常がないかも調べてもらい、 思考に思考を重ねた結果、ひめとムスティを幼稚園へ。7匹の♂♀内訳は♂4匹♀3匹だ。 ありすは不動のものとして…万が一の悪夢を間違っても自分の手で繰り返してしまわぬよう♂だらけを残し、 ♀2匹をもらっていただこうと。マイペースで怖がりの気があったムスティとの別れは非常に悲しかったが、 仕方が無い、そう思い(込んでた)私自身、元飼い主においては万全な準備を整えいざ幼稚園へ…。 |
しかし、数日後…私は飼い主失格だとまたもや凹む事件を起こしてしまう。
「箱ウサギ」のホームページと出会ってから、公共の施設へは絶対里仔に出したくない。その思いを貫けばよかったか…。
「幼稚園」と聞いて、最初は渋ったのだが、園長先生はすごくいい感じの方で、
ウサギが好きだし、その幼稚園では、既にウサギが2匹いて、1ケージに1匹と言う環境で飼っていると。
(思い返せば、「最近2匹亡くなってしまって今2匹なんです」と言う言葉にも、もっとひっかかるべきだった。
何故、亡くなってしまったのか、その原因を飼い主が把握しているか等)
私は「ウサギ」に関して、まだまだアマちゃんで、周りのウサギ飼いの方がどうやって飼ってるのか、他、あらゆる現実を何も知らずにいた。
もちろん、里仔に出すのも初めての経験で何をどうやって?自分勝手な想像で、すばらしい環境で幸せになれると思い込んでた。
「下見」もせずに、じっくりお話するでもなく、夏休み明けに受け渡しの約束をし、
いざ当日、用意されたケージに入ったひめとムスティを見て、既存のウサギの様子を見て…。「やっぱり止める!連れて帰る!」
…喉まで出かかったが言えなかった。園長先生がウサギ好きなのは、よくわかったし、本当に嬉しそうだったし…。
「2,3日もすればウサギも慣れるよ」と、半ば慰められながら幼稚園を後にしたのだが…。
結論から言うと、その4日後に…「ムスティとひめを連れ戻してしまいました」
自分のウサギに対する思い。下調べ等を怠ったこと、公共の施設の経費のこと、「幼稚園」はあくまで「子供」の教育(?)の場であり、
何よりそれが最優先されること、そんな当たり前の事にも気づかず、非常に迷惑をおかけして、申し訳なく思っている等々、
お詫びと共に、引き取らせていただいた。園長先生はホントに良い人で、すべての否は自分にあると…凹んだと同時に…
“私が一番好きなこと、一番やりたいこと、やってて楽しいこと、それが「ウサギ」なんだ” と、気づかされた、非常に大きな出来事でした。
自分が望まない現実を押し付けられ、体は動くよ、動かすよ、生死にかかわることですから。
しかし、頭では、気持ちでは、なかなかこの現実を受け入れられなくて、悲観的になりがちだった。
「何で私がこんなめに遭うの?」って。
でも、実際、ウサギ2匹がいなかった数日、少しできた時間で何する?って…インターネットでウサギ検索…。結局は、ウサギのための時間なのだ。
発端は、全く望んでもない、否定していた現実、まさに不運。ではあるが、
そこを省けば、ウサギの時間は私が一番楽しい時間なのだ。(ホンマに大変やけどな)
と、「気持ちを切り替えて」 改めてウサギ生活が始まった2005夏…。
※2005年9月以降は「できごと」 2006年8月以降は「イマドキのうさうさライフ1」 2014年12月以降は「イマドキのうさうさライフ2」