2008年04月13日(日)
大好きな“だいな”のこと。
先月、3月1日、だいなが亡くなりました。


2月29日(金)おそらく夜に発症したと思われる、急性毛球症にて、
翌日、正午頃、病院で亡くなりました。

詳しい経緯等は、“続きを読む”で書いています。



ずっと黙っていてごめんなさい。


まず、ブログを休みたい、そう思った。
でも、何も言わずに休む事はしたくなかった。
でも、だいなの事は、そんな早々書けなかった…。
だいなが亡くなるまで、それまでの私のウサギ生活を抜きにして、伝えたくなかった。
それまでの記事を書いて、全部、出し終わったら、それから、それから、
だいなの事を伝えて、お休みしよう…。
そう思った時点で、その時まで、誰にも、誰にも、話すつもりは無かった。

“ヒトウサさんちのウサギは、みんな元気で過ごしてる”
周りは皆、そう思ってる、と、私が思える事で、何とか、日常を過ごせてきた。
時間が必要だった…。


一方通行でモノは言える。でも、会話をする事が怖かった…。
自分の口から何かが漏れる事が怖かった…。
ウソはつきたくない、でも、本当の事も言えない…。
いきなり、コメント受付停止にしてごめんなさい。
HPの方では、掲示板、長らく放置していました。本当に本当にごめんなさい…。
3月1日以降、頂いたメールにも、お返事できませんでした… 本当にごめんなさい。
たかが会話、それがすごく怖かった…。
一方通行で発信する事が精一杯だった。

楽しみにして下さってる方、応援して下さってる方、メール下さった方、
…へなちょこな私でごめんなさい。


また、3月1日以降、皆さんのブログへの訪問もほとんどできていません。
…ちゃんと元気かな…思わなかったわけではありませんが…。
ウサギ絡みの人と接する事が億劫になってました。

「誰と共有する事なく、誰に強いられる事なく、自分の思うように時間を過ごしたかった。」
人に対して、思いやりに欠ける私でごめんなさい。
そんな私なので、多方面から心配等受ける事も、あまり得意ではありません。
重ね重ね、ごめんなさい。



これを機に、しばらくの間、ブログ記事の更新はお休みさせてもらいます。 
“初心に帰る”と言う意味でも、
“世にも不思議なウサギ生活” ホームページの方の、
滞ってる更新作業に手をつけようと思っています。
はかどるかどうか、時間的にもわかりませんが…。


“イマドキのうさうさライフ”…その内、しれぇっと更新されてると思います。
ここは、公開されてる場ですが、あくまで私のウサギ生活の記録ですので…
私のウサギ生活が終わらない限り、書き残して行く予定ではあります。



最後に…

「何かがあった」というだけで、詳しく追求してくる事もなく、持ち出す事もなく、
ずっと、いつも通り、何もお変わりなく、で、接してくれてる職場の同僚達へありがとう。
「今は話せない」
それ以降、そっとしといてくれて、
私が話す、この時まで静かに待っててくれた友達へありがとう。


(支離滅裂でまともな文章になってません。すごく読みづらいと思います。
 細かな点で、何か抜けてる可能性も無いとは言えません。一語一句まで覚えてません。
 また、だいなの最後の姿も載せています。)


2月中頃、妙に暖かい日が3日ほど続いた。
それを機に、みんなの換毛がひどくなってきたような気がする。
言うても、暖冬か、ひめやムスティは、冬の間、ずっとボサボサだったような気もするが…。

下旬になって、中でもだいなの換毛がひどく感じた。
なんぼでも抜ける。病的なのではないか、でも、肌の感じにおかしな点はわからなかった。
他の子と触り比べたりもした。


23日か、薬石(岩盤浴)を設置した。
だいなだけは、朝も晩も、コロコロでできるだけ毛を取った。
でも、取れば取るほど、毛づくろいをするような気もした。

その頃、後方を毛づくろいしては、その後、口をモグモグさせてる姿を何度か見る、
「わぁ…毛ぇめっちゃ食べてるわ…」と思った。

毛束の糞も見られた。(何個か前の記事「毛は糞で出てくる」に掲載)

その他は、特に変わった様子は見られなかった。
食欲も普通、牧草も、減りが悪いとは感じなかった。
毛束の糞はあったものの、それ以外の糞は、
特に小さい事もなく、特に少ない事もなく、普通だった。



2月28日、職場の送別会で帰宅が遅くなる。
翌日も仕事の当番で遅くなる、28日は、お外タイムはごめんなさいした。
若干の心配はあったが、食、糞の様子も通常通りだったので、
「明日は、遅いけど、お外タイムするからな」と、…。


29日朝は、特に、何って、記憶に残っていない。
残るほどの何かは無かった、そう、思ってるが…。


2月29日、晩の10時前に帰宅、ケージ内の様子は何もおかしくなかった。
ペレットは完食、牧草も、「減ってない!」と言うこともなく、糞も、特に気にならなかった。

お外タイム、だいなの順になり、いつも通り、張り切って出てくる。
あっちエリアで、いつも通り、散策等、行なっていた。
こちら側の掃除を済ませ、あっちエリアを覗くと、糞が5粒ほどしか出てない。


翌日撮影したものです。


いやな予感がした。
もう少し長く運動させておこう、と、しばらく遊ばせていたが、糞は出ない。
動きは、お腹痛いのポーズもなく、休憩するでもなく、普段通り、ウロウロしていた。


こちら側へ移動させて、引き続き運動タイム。動きはいつも通りだが、糞は出ない。


ケージへ戻すが、食べない。


ありすの時のように、わかりやすい「お腹痛い」のポーズは見えなかった。
お腹痛いのポーズにまでは見えなかった。
奥のBOXで休んだり、手前で休んだり、トイレで休んだり、食べない事を除けば、
ほぼ、いつも通りの様子だった。

その間、飛び出てた牧草を1本食べたような気がする…。
齧った、切っただけか、…はっきり覚えてない。

毛づくろいは時々する。しないように阻止するが…。

おやつ他、何を上げても、まったく口にしない。


ケージへ戻してから、夜中2時ぐらいまでに出た糞。



(翌日撮影)



緊急へ行くべきか否か迷う。でも、やっぱり私は行かなかったね。

ケージからの出入りを自由にさせるべく、1階へ置こうか…
他、マッサージや色々、色々迷ったが、
環境を動かす事、慣れない手でイジる事等、やはり抵抗を感じ、しなかった。

薬石を2箇所に設置してみたり、背骨の付近をさすってみたり…。



糞は一つも出ず、何も口にした様子もなく、
改善が見られる事なく、翌朝、一番で病院へ。



既に胃が張ってきてる。
レントゲンを撮る。
胃に水が溜まり出してるのが写ってた。

急性毛球症。
おそらく、腸に毛玉が詰まってると思われる。(腸閉塞)

内科的処置を行なったのち、改善が見られなければ、
午後か、夜中か、に、開腹手術をしようか、と。

難しい手術になる、術中に亡くなる可能性もある、術後に亡くなる可能性もある、
助かる可能性ももちろんある と。

皮下(?)点滴をして、毛玉がほぐれるよう、油のような薬を強制的に飲ませる、
バリウムを飲ませる。
「入院」 一旦帰宅し自宅で様子を見れる状態では無かったのか。


入院室の中段に入る。
持参してた毛布も一緒に入れる。

だいなは、奥で固まって、ほとんど動きは無い。
撫で撫でを受け入れるような感じでもない。

私がすごくトイレに行きたくなって…一旦帰宅しようかとか思った。
私がいる事で、緊張が和らぐ様子がまったく見られなかった…
放っておいて、この箱に慣れさせる方がいいんやろか、とか思た。

でも、離れたら、見張ってないと、死んでまいそうにも見えた。

「ずっとここにいていいですか?」

帰宅せんでもいい、ずっと側にいれる。確認を取ってから、トイレへ行って、表へ出た。
タバコを吸った。週末予定を組んでた親友にメールをした。
「だいなが危ないかもしれん、予定はどうできるかわからん」と。
もう1件、メールの返事をした。何も触れずに送信した。
もう1本タバコを吸った。


11時頃、だいなの所に戻ったら、
ちょうど、看護師さん2人が防護服を着て、だいなを連れてレントゲン室へ向うところだった。


だいなが戻ってきてから、先生が来た。

さっき、レントゲン室へ向う時、箱の扉を開けたら、
だいなが飛び出してきて?受け損ねて?落ちてしまった、と。
(一語一句は覚えてません。)
「ちゃんと座れてるようだから、骨折とかはしてないかな」


しばらくして、レントゲンの結果。

最初、胃のバリウムが流れてて、回復かも、と、言われたが、
よくよく見ると、「いや、ちょっと待って…」と、先生。

胃のバリウムは、腸へ流れてるのではなく、
胃が破裂して、外へこぼれてる、と。

おそらく、先ほどの落下で、胃袋が破裂したのではないか、と。
水が溜まって胃は張っていた、少しの衝撃でも破裂してしまう状態だったのではないか。

午前の診察が終わり次第、すぐに手術、胃袋を縫うのと、腸の詰まってるものを取るのと。
さっき以上に危険な手術になる。

とりあえず、「側にいてあげてください。」慌しく言われた。



箱の扉は開けて、上半身を入れるようにして、奥で固まってるだいなに一番近い所で、
ひたすら撫でていた。

奥で丸く固まるだいなの中で何が起こっているのか、想像は難しかった。

だいなは、定期的に、頭を起こして、上半身が起き上がるような格好をして、また落ちる。
それを繰り返していた。


11時半、後もう少しやからな、頑張ってな、12時まであともう少しやからな。


12時が近づいて、その動作が止む。



12時頃、急に、上へ飛び跳ねて、こちらへ突進してくる。
私の胸の壁で止められてるのに、行こう行こうと、後ろ足を蹴って、暴れる。
お尻が汚れていた、薄茶色い汁も少し見られた。
すぐさま先生を呼んでもらう。
危険だ、と。救急対応で、手術室へ。
救急対応の看護師さんが1人付く。私ももちろん一緒に付いて。
酸素マスクを付けられる。

先生が、つかむような感じで、心臓マッサージのような動作をしてた。

ショック状態になってしまい、自力で呼吸ができていない、と。

先生の手が動いてる時は、数値は上がるが、先生の手が止むと、数値は下がってくる。

自力呼吸が復活しない。

「うさぎさんは、極限まで我慢しますからねぇ」て そんなようなことを言うてたかな…

だいなの耳元で、何度か名前を呼びかける。
「頑張れ」とはよー言わんかった…。名前だけを呼んでた。


「今、自分で呼吸ができてなくて、酸素マスクがついてて、先生に肺を動かしてもらってて
 だいなは苦しくないんですか?」

「ショック状態で意識がない状態なので」みたいな事を言うてたような気がする。

「仮死状態?」


「…これで、自力呼吸が復活したとして…
 それから行なう手術は、さっきの状態以上に危険なものになるんですよね?」



もし、それらを外したら、止めたら、どうなるんですか?

心臓に酸素がいかなくなるから、数分で心臓が止まる。


私が言うたら先生たちは、止める。


あともう少し、あともう少し? どれくらいか実際はわからない、
おそらく、ほんの数分じゃないだろうか、

数値は安定せず、先生の手の動きに合わせて、上がっては下りてくる。
それを何度となく繰り返す。



(迷った。 もし、持ち直しても、危険な状態は続くわけで、
 その状態で、手術を受ける事になる。
 すべてを乗り越え、最後まで持ちこたえる、
 だいなが生きていてくれる可能性を、私は見出せなかった…。
 この後、いずれかの状態で亡くなるなら…、
 開腹中に亡くなるなら…、頑張って手術を乗り越えた所で亡くなるなら…、)




「先生、 もう、いいです」



「…そしたら、後は、○○さんの腕の中で…」


台に横たわるだいなに覆いかぶさるようにしてくっついた。
心臓の動きはわからなかった。感じ取れなかった。


しばらくして、先生に聞いた。確認してもらった。

「お役に立てなくて」みたいな事言うてたかな。


「おそらく毛玉が腸に詰まって、胃に水が溜まりだし、胃が破裂して、ショック状態を起こし、
 自力呼吸が不可能になって、亡くなった と言うことですね」


「…お代は結構ですので…」


荷物を取って、上着を着る間、看護師さんが、だいなを抱いててくれた。
毛布にくるんだだいなを抱えて、診察室を後にした。
出るまでの間に、別の看護師さんが、「すみませんでした」

ドアを開けると、待合室の人たちの視線を感じた。
毛布のだいなに顔をうずめた。

病院のドアを出て、外に出て、涙が溢れた。 



だいなを胸に抱えて帰路についた。

おりこうさんだねぇ、まったく動かない…。


帰宅して父に「アカンかったわ」
病院での経緯を簡単に話ししたかな。
「バレへん限り、姉にも、誰にも言わんといて欲しい」

先ほどメールした親友にも「アカンかった」と、
「私の知らない人であろうと、親兄弟、とにかく誰にも言わんといて欲しい」



葬儀屋さんへ電話をした。手順を聞いて、翌日昼間に予約を入れた。




その日のお外タイムは、だいなは無し。
自分のケージでみんなを見ててもらった。



やっぱり目は閉じない。
でも、普段から、横になる時は、妙に目だけは大きく開いていたから、
逆に自然だった。ホンマにまだ生きてるようだった。




翌日、有り合わせの箱しか用意できなかったけど…。



できるだけ、できるだけ、寂しくないように。
だいなが、いや、私が、私が。
賑やかに、楽しげに、ちゃんと蓋を閉じれるように、名残惜しんで動けなくならないよう
賑やかに、楽しげに、手放せなくならないように…
みんなの画像も一緒に入れた。







…だいなぷん、ばいばい。  ありがとう。 んでから、やっぱり、ごめんね。




こんなん言うたら周りもみんな怒るんやろうけど・・・


だいなぷん、
生きてたんやから、死ぬのは仕方がない。そうじゃなくって、
さみしくて、さみしくて。 さみしくってさみしくって、仕方がないんよ。
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頂いたのは1匹だったのに

…我が家へ来てちょうど

1ヶ月のある日、突然出産

生まれた子の中には

毛の生えないウサギが…

★はじめに★

 

「イマドキのうさうさライフ1」
2006.8〜2014.12.22

「イマドキのうさうさライフ2」
2014.12.23〜2017.1.31
 
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HP「世にも不思議なウサギ

生活」を元に描かれた作品

作:いとう今昔

 

彼らがこの世に生まれた

理由があるとすれば…。

 

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Special Thanks

頂きました(・∀・)

漫画『ぼくの友達』

作:いとう今昔

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私は繁殖しません

    

 

単なる宣言バナーです

ただの言いたがりんです

貼りたい方はご自由に。

  ★増やすのやめませんか★

                        

◆メンバー紹介◆

ありす
2004年6月14日生まれ

2005年4月我が家の
里子となり約1ヵ月後
わけわからん出産
パニック状態の私を
支えてくれた
初めてのウサギ

−2009年3月7日
胸水による呼吸困難
との闘病約3ヶ月を
経て亡くなる。
※胸膜由来の
膿胞による胸水
詳しくはコチラ

チョビ
2005年5月23日生まれ

ありすから生まれた
6兄弟の1人
カジカジアピールと
足ダン攻撃が激しい
長年大病なく最後の
1匹の座を勝ち取る
−2015年7月29日
2014年3月末に
悪性リンパ腫を発症、
同年10月からは
老齢性と思われる
寝たきり生活に突入
最後は重度の肺炎にて
だいな
2005年5月23日生まれ

ありすから生まれた
6兄弟の1人
びっくり顔が特徴で
すぐゲージ奥へ逃げる
私の目を伺いながら
悪さする実はツワモノ

−2008年3月1日

急性毛球症(腸閉塞)
にて病院で亡くなる。
詳しい経緯はコチラ

ムスティ
2005年5月23日生まれ

ありすから生まれた
6兄弟の1人
幼少からマイペース
攻撃性がまったくなく
面白いやしキャラ。

−2012年11月18日

前年末より胸腺腫との
仮診断のもと闘病、
7月には下半身脱力
半寝たきり生活開始
10月には胸水発症
呼吸器不全にて亡くなる。
ひめ
2005年5月23日生まれ

ありすから生まれた
6兄弟の1人
友達が勝手呼んでた
名をそのままつける
らしくツンデレだったが
闘病時はベッタリだった

−2012年6月22日

前年末より胸腺腫との
仮診断のもと闘病
ステロイドの副作用が
激しく、著しく低下する
免疫力に立つ瀬なく
誤嚥性肺炎で亡くなる。
スクービー
2005年5月23日生まれ

ありすから生まれた
6兄弟の1人
不秩序な交配による
遺伝子の突然変異にて
無毛で生まれ育つ。
男らしく激しい一面あり。
彼なりの換毛で薄く
産毛に覆われたことも。

−2011年9月6日

長きに渡る胃腸不良の
日々を過ごし、発症した
盲腸便秘(ガス)、治療
の甲斐なく亡くなる。
※患ってきた数々は
記事分類・スクービーで
シャギー
2005年5月23日生まれ

ありすから生まれた
6兄弟の1人
スクービー同様で
無毛で生まれ育つ
やんちゃで危険な
場所にも侵入多々
換毛はなく、毛布も
上手に使いこなす。

−2010年7月31日

長きに渡る胃腸不良の
日々を過ごし…何かが
違った?に気づけず
末端にて亡くなる。
※患ってきた数々は
記事分類・シャギーで
スカイ
2004年(推定)
10月11日生まれ

2008年10月某牧場から
引き取ったよそ者
いじめられたか、鼻、耳
目ぇと男の勲章満載
飼い主大好き甘え上手
な一方で、きちんと
わきまえるおりこうさん

−2013年1月1日

前年9月に腎臓結石
腎不全、11月には
毎日自宅で点滴行うも
改善なく亡くなる。

ニックネーム:ヒトウサ

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