ありすがいなくなって、1番は無くなった。
のち、スクシャ対応に翻弄し、二の次三の次にされてきた現4匹。
2番手、には、慣れていたのだろう、ありす生前時で。
くわえて、見るからに“ちょっと違う”彼らが、自分たちと違う対応をされてる事に、
ウサギなりの理解はできていたのではなかろうか、と。
そんな、一風変わった“ウサギ”たちが居なくなって…
2番手以降の4匹時代になり、問題はここから。
ケージ1つの空きスペースを眺めて姉が、
「また、かわいそう…って…」(増えるんちゃうか?の意を込めて)
「絶対ない!せっかく4分の一になれたのに、それはせーへんわ。」と返答した私。
4分の一。
今いる4匹は、私のスパルタ声援(※下記に説明)に応えて?
不均等な7分の一対応から、やっと4分の一対応にまで漕ぎ着けたのだ。
それを、また、私の一存で、5分の一、6分の一て、減らしたってどないすんねん! と。
不均等な7分の一から、真平等の4分の一へ、ウサギ生活再スタート、
てな予定だったのだが、なかなかそうもいかないもので…。
…そう、実は、特に、ひめに対して、申し訳ない気持ちが明るみに出てるワタシ(。--)ノ
何においても1番のありすの隣に長らく住まいを構えていたひめ。
そして今の隣人スカイは、やれ病院やれ目のケアやれ薬と、
何かにつけて、相手されまくってる。
ひめにとって、ありすとスカイでは、そのポジションは大きく違うだろう。
ありすは、生まれた時からすでにおったウサギ、に対し、
スカイは、あとからやってきたおっさん、ぐらいやろう。
そんな隣人環境が、何となくストレスになってたんじゃないやろうか… と。
また、スカイさんは甘え上手というのか、やたらめったらくっついてくる。
同じようには出来ないひめ。
でも、撫でて欲しい、かまって欲しい思いは同じくらいなんとちゃうかな…。
ウサギって、よー見てる。
そら、1日の大半をケージの中で過ごすのだから、
外で動く様子は見るのにもってこいだろう。
私が見る先、私が呼ぶ名、私の手の行き先…。
誰かが出てる事に対して、チョビみたいにカジカジしたり、激しいアピールは無いひめ。
でも、内に秘めたる…が、あるよな気がしてならんのだ…。
わかっていても、目に余る行為に至らない場合は、結局、流れに甘んじてしまう…。
結果、そういった、ウサギなりの日々の悶々が積もり積もって、
弱い部分に病気を発症してしまうのかな、と。
対飼い主において、“平和一徹”な感のある2階住人を見てると、
つくづくそんな思いに苛まれる。
(ひめは掴まれる事が苦手だったので1階になった。
もう、ケージの出入り自由状態が長いので、今更それを奪うのは、
余計にストレスだろう、ということで、置き場所は変更予定なし)
実は、ひめは、むぅ〜っちゃ我慢して、
今までずっと、ここで過ごしてきたのかもしれないなぁ…。
とかいうて、今後、例えばチョビに病気が発覚したら、また、
ひめ以下3匹に翻弄で… て、同じように申し訳ない気持ちに襲われるのかな(;´Д`)
これって多頭飼育、永遠のテーマであり最大の悩みなのかもねぇ…。
スカもスカなりにいっぱい我慢してるんよね。
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(※ “スパルタ声援”て何(-.-?))
ウサギたちによく言っってるセリフがある。
「あんな、あんたらな、誰よりも一番、いっちばん!長生きしぃ!
頑張っていっちゃん長生きして、ほんで、最後の一匹になりっ!
そしたら、時間も何もかも、ぜーんぶ、ぜーーんぶ1番!自分のもんや!
な、せやから頑張って長生きしぃな!」
我慢の無い生活をここで手に入れるためには、
誰よりも長生きして最後の一匹になるしかないのだ!?
張り切って「最後の1匹になり!」とかってウサギらに言いながら
ああ、ちょっと嘘ついてるなワタシ…て頭かすめる。
最後の1匹になる頃には…
父が私が、今と同じだけ動けるような健康状態でなく、通院や介護や?
結局、他に時間が取られるような生活になってるかもしれん。
あるいは、犬やら猫やらよからぬ出会いをしてしまうかもしれん…
ま、この場合、拾ったとしても、死に物狂いで里親探ししますがね。
死の物狂いで、死に物狂いまくりで。
そ、どうせ拾うんやったら、ニンゲンの子がいいわ;^^)ノォィォィ
とかまた話が飛躍する?!
ニンゲンの子なんか拾ったら、私、絶対手放せへんわ(爆)
ウサギ、ニンゲン、イヌ、ネコ、トリ…何ら関わらず、
拾いもんはきちんと警察に届けましょう“〆( ̄  ̄*)
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