記事“奇跡”と“生命力の強さ”の(続き)の、続きです。
1週間後の健診、それから2週間後の健診を済ませ、
色々細かな問題はあるけれど、通常の生活においては支障なく過ごしています。
また、それらの様子はおりを見て、ここへ記す予定です。
最後に…
ここでは、色々な気持ちを思い出せる限りで、書き残そうと思ってます。
たぶん、支離滅裂でわけわからんと思うので、
「続きを読む」は、お勧めできません。ごめんなさいね(- -;)
こんな子(毛がない)だから、どれだけ生きれるのかわからない。
だからこそ、自分の過失で命を奪ってしまう事だけは、絶対避けなければならなかった。
せやのに…。
人生“絶対”じゃなくて、“まさか”である。
身をもって経験してきたのに、何故“まさか”が起きないと思ってしまったのか…。
あの音、あの風景が、忘れられなくて、スクービーを見ていない時は、
常に思い出され、思い出すたび、「ハっ」として、口に手を当ててしまう。
私の中で、1度スクービーは亡くなったのだ、そう思える。
何せ、生きてるスクービーを見る事で、安心できる。
時間の許す限りで病院へ詰めた。
毎日遅刻で昼休みも仕事してるわで、心配してくれた同僚たち…。
万が一の事があった場合、それでも、仕事はしなければならない、
日常はこなさなければならない、残された6つの命があるのだから…
それを通常通りにこなせるよう、家族以外の誰にも、事情は話さなかった。
退院してからやっと、同僚達に話をし(当番を代わってもらったり迷惑もかけました…。)
「毛が無いのに2年も生きて十分やん!」て。
「いつ死んでもおかしくなかったわけやん!」て。
「あんたの育て方が正しかったから2年も生きてくれたんやん」て。
「毛が無いのに、ここまで生きてくれたから、絶対大丈夫!
十分、もう、生命力の強さは証明されてるよ!」って…。
たくさん励ましの言葉をもらった…。
職場においては、本当に周りに素っ気なく…と言うか、
付き合いが非常に悪く、迷惑ばかりかけているのに、
みんな、「命」の大切さをわかってくれてる人だから、
こうして、親切にしてもらえる…。本当にありがとう。
ウサギに何かが起こった時、
いつも、自分の子供に置き換えて、同じように心配してくれる。
「同じ命」そう思って、付き合ってくれる友達にありがとう。
スクービーの回復力の速さに、なかなか追いつけなかった私の気持ち。
こうしてケージにいるスクービーは、幻なのではないか?
違う現実が、どこかにあるんではないか、これは夢なのではないか?
そんな私の気持ちを、持ち前の明るさと元気でリードしてくれたスクービー。
「もしも、亡くなっていたら…」その想像はキリがありません。
今回、姉からは、「延命」と言うテーマについて聞かれました。
他の友達からも、ウサギにもしもの事があった場合の“私”において、
非常に心配していただきました。
実際、そうなってみないと、何も言えません…。
避妊手術を行なうのと同様に、自分の環境、7匹の命がある事、
総合して考えると思います。
“延命”の処置がどのようなものか詳しくは知らないけど、
人間と同様の考えです。
私は、安楽死を望みます。 ただ、過程による…。
自分がウサギへ全力投球する分、おそらく、家族、友達、周りの方々に
また、迷惑をかける事になるのだろう…。
色々考え出すとキリがなく、
生き延びてくれたスクービーが、こうして私の側に居てくれる限り、
その思考は後回しにしようと、思える。
「神様はいた」
「奇跡は起きた」 宗教的な面ではなく、本気でそう思ってます。
いつだかの車中で思った事…
「…神様に、どうやってお礼しようか…」 (^-^;)
そして、うさぎSUMMITの主催者であるakkoさん…。
今回の撮影が、「そのため」のものだったので、
すごく責任を感じて、私以上に心配してくださって…
本当にありがとうございました。
うさぎSUMMIT関係ありません!
私にとって、撮影=ベランダ と言うのは、ひねらなくても出てくる答えであり、
落ち着いてみて、何より恐ろしいと思ったのは、
「今回でなくても、いつか、必ず、絶対に、この過失は犯していただろう」と
そう思える事。
だって、「まさか、飛び越えないだろう」って嘘みたいに信じ込んで
その場を離れたのですから…。
今回、運よく、事故が起こらなかったとしても、
いつか、必ず、別な機会に起こっていたと思います。
その時は、助からなかったかもしれない、その時は、病院が休診かもしれない、
その時は、その時は…。
ウサギの行動は、そうするだろう、しないだろう、ではなく、
そうできる環境か否か、そこに尽きると、痛感しました。
「飛び越えれる高さ」=「飛び越える」
今まで1度も飛び越えた事がなくても、「可能性がある環境か否か」
今回、私を責める人は、今の所誰一人いません。
明らかに私の不注意ですが。
私がそれらを背負って生きてくのは、当たり前であり、
背負うのは、体でなく、心なので、んなことええんです。
しかし、何の罪もないスクービーは、今回の後遺症として、
色々、そうでなくても、毛がないリスクを背負ってるのに、
前歯の事や、他にもこれから出てくるかもしれない事を
背負う羽目になってしまった…。
申し訳ないでは済まされない…。
彼らの命が、人生が、生活が、すべて、すべて、私の手に掛かってるということ、
絶対に忘れてはいけない事。
飼育経験が長くなっても、絶対、油断してはいけない事。
初心を忘れない事。
あぁー きっと、もっと、思った事いっぱいあったはず。
書き忘れてる気持ちもたくさんあると思う…。
でも、とりあえず、今、“生きている”彼ら、7匹が私の側にいてくれるから、
時間はどんどん流れいくから…
とりあえず、とりあえず、私も先へ進もうと思う。
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