(※ はじめに、『“胸水貯留”に関して』
連動記事『亡くなった後の事』 『その他、関する色々』)
今年の1月以降、連れ出す事に抵抗(危機)を感じるようになる。
それから、亡くなるまでに数回、往診に来て頂いた。
往診に来て頂いた時に、相談した事。
「いつ、どういった状況で亡くなるかにもよりますが、
亡くなったら、ありすの胸を、切って、開いて、
中を見せてもらってもいいですか?」
胸の手術は基本的に行なわない。
連れて行く事が厳しくなり、
エコー、レントゲン、他、病院で機材を使用しての検査が行なえない。
“おそらく、腫瘍”という仮定のもとに、副作用の少ない、
また、他の原因だったとしても、害が少ない方法で治療を行なっている。
それを受け入れ、至極、頑張ってくれてるありす。
仮定の元に、進行しているか、どうなってるか、すべてが手探りだった。
…そうして、ありすは亡くなっていくのか…。
これだけ、むちゃくちゃ頑張ってくれてるのに!
必死に闘ってくれてるのに!
闘病相手が何なのか、また、何に負けて亡くなってしまうのか…
『胸水貯留』で呼吸困難、窒息死。
何で水が溜まる事になったのか?何で水が溜まり続けるのか?
こんだけ頑張ってるのに、何で勝てないのか?
そもそもの原因は何なのか?
“たぶん、腫瘍(ガン)”
“たぶん”て何やねん…。
命をかけた闘病生活の終わりが
「“たぶん”腫瘍が原因やったんやと思う」て…。
どうしても、知りたかった。
負ける事に加え、何に負けたかわからないなんて…悔しいと思った。
ありすが頑張ってくれればくれるほど、
教えて欲しかったし、気づき、知ってあげたいと思った。
ありすの、“本当の声”をすごくすごく聞きたかった…。
また、自分自身も、ありすを励まし、私の行動を信じてくれ、と、
注射を打つ、薬の混ざった水を飲むよう促す…。
“本当は違うかもしれない…”
本当は、“私は”間違ったことをしてるのかもしれない…
でも、先生を、自分を、ありすを、
すべてを、信じる以外に、前を向ける道は無かった。
ありすが頑張ってる以上、前以外、目を向ける方向は無い。
…重病の人に、告知せず、隠し通す事の苦しさを味わった事は無いが、
それ以上に、苦しいと思ってしまった…。
本当は知らないくせに、わからないくせに、
「これで治るから!私を信じて!」と、励まし、処置する事が…。
3月7日、亡くなった日の夜、先生にありすの胸の中を見せてもらった。
(解剖…関連記事『亡くなった後の事』)
先生も、同行した姉も、私(飼い主)がその場に立ち会う事を珍しい、と言ったが、
私は、“私がその場に居なければ意味が無い”と思っていた。
ありすが一番、伝えたかった、知ってもらいたかった、教えたかったのは、
先生や姉じゃない、この私だと思っていたから。
ありすを死に至らしめた、大きな腫瘍を睨みつけるつもりだった。
でも、そこにあったのは、先生にとっても初めての症例、嚢(のう)胞だった。
ありすは、どこも悪くなかった。
嚢胞ができた事により、心臓病のような状態ではあったが、
それ以外は、嚢胞の存在なんて関係なく、どこも悪くなっていなかった…。
あまりにもキレイな体内を見て、…(すみません、結びの言葉が浮かびません。)
たった1個の嚢胞ができただけで…
それが、他のどこでもない心臓の側に存在したというだけで…
たった、たった、それだけの事で…。
この3ヶ月弱の間、ありすが必死で闘ってきた相手と、
まったく違う相手と私は闘っていたのだ…。
同じ方を向いて、一緒に頑張ってるつもりでいた…。
でも、私達が知り得無い相手と、ありすは1人で闘ってたのか…。
真実を知った時は、
何もかも、全てにおいて、“ショック”としか言い様が無かった。
帰り道の車中で、姉が言った。
「胸に溜まっていた水(血液)を見た時、さすがに、「う…」て思った…」と。
「…どういう意味?」
「…すごい量やったから、「あんな小さい体に、こんなにも!?」て…」
その感想を聞けた時、姉を連れて行って良かったと思った。
HPの避妊手術のページでも書いているが…
「その病気になった動物が抱える痛みを、実感できる人はいないが、
知識がある分、飼い主以上に、獣医師は、計り知る事ができるのだ。」(抜粋)
私は、ありすの胸に溜まる水を見て…正直、よくわからなかった。
「普通は、それほど水は溜まってないものなんですか?」と質問するのが関の山だった。
でも、姉は違う。(一応看護師免許持ってるので)
人間の場合と多少の違いはあるかもしれないが、その水の量が、多いか少ないか、
どういった状態なのか、どれだけの苦しさが当人に起こっているか、…知ってるのだ。
私の“想像”とは違う、実際に、学んで“知ってる”のだ。
「水が溜まってたから苦しかっただろう」という、素人の想像は、やがて薄れてしまう。
でも、姉が知ってた事実、
「あれだけ溜まっていたら…」は、いつまで経っても色褪せない。
知っている人の意見を聞いて、やっと、その想像は現実味を帯び、心にきちんと刻まれる。
何故、嚢胞が発生し、存在し、膨らんでしまったのか…
何故、そういった状況が起こったのか…
肝心な原因は、結局、確定できなかったが、
ありすが一生懸命、闘っていた相手が、
悔しくも、負けてしまった相手が何だったのか、
この目で見て、聞いて、教えてもらって、
“本当の事”を知って、わかって… やっと、やっとこさ、
心の底から、素直な気持ちで、
「ありちゃん、ホンっマに!よく頑張ったね!」 って言ってあげる事ができた…。
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